エンタメに影響された2000年代を受けて、君は何をするか

2000年の日本はエンタメ全盛期

学生時代、何かに熱狂した事はあるだろうか。

僕が高校生だった頃は、2000年という時代。

AIR JAM2000があり、音楽ではメロコア全盛期だった。

ケツメイシが1999年にリリースした「こっちおいで」がインディーズとしてヒット。

ゴリゴリなレゲエより少し広めの範囲のレゲエが出てきた頃でもある。

お笑いでいえば、M-1が始まる前なので、ダウンタウンや吉本超合金を知る人がスクールカースト上位とも言えたかもしれない。

実際に体感する事は難しい立地であった為、ある意味、情報の受け手として先取りできるかどうかが、カーストを生み出していたとも言える。

松本人志の影響は大きく、「最後に一言ボケる」というのがカッコいい時代。

ある意味、揚げ足を取るようなボケかた、ツッコミかたが流行した。

生き方としては、「シャカリキにやる」事がダサいイジられる対象でもあり、無気力の方がカッコ良い時代

なんせ、IWGP(池袋ウエストゲートパーク)が放送されたのも2000年だ。チーマー(teamerという和製英語)が全国的に知らしめられた年でもある。目立つヤツは潰されるという時代だった。主人公は「めんどくせー」が口グセ。

ちなみに、木村拓哉主演のビューティフルライフ、松本人志と中居正広主演の伝説の教師も2000年。

これらの音楽、お笑い、ドラマという媒体と合わせて、ファッションは裏原宿全盛。ドメスティックなブランドを目にする機会も増え、ライブではコラボTシャツも並んで買うほどの人気。

さて、この時代を踏まえて、どんな生き方が根付くのか推測してみる(といっても大体答え合わせができる年代まで来ているが)。

情報の受け手全盛期でもある

音楽は、自分でかき鳴らすギターの音は、何かのコピー。それもそのはず、AIRJAMという様々なバンドを目にして耳にして、影響を受ける。自分でつくろう、と進めた人はどれほどいたのだろうか。

お笑いとして、もがく時期よりも観て批評する時期でもある。ましてや翌年の2001年からはM-1が始まる為、遠方に住む人にとっては受け手として観るしか手段はない。

ドラマでは、上に書いたようにIWGPが放映。IWGPの脚本はクドカンこと宮藤官九郎、演出は堤幸彦や金子文紀、プロデューサーは磯山晶がつくる実験的な映像に魅了されていた。

ファッションはもちろん、これらと同時期に目にしている為、影響されるのは当たり前でもある。並んで買う、高くても買う。

これらのエンタメに、僕らは多感な時期に長く日本の影響を与える物事があり、会話はエンタメでいっぱいだった。

ふと考えれば、この2000年という時代は、僕ら1984年前後に生まれた人ではなく、一回り上の1972年前後に生まれた人たちが活躍する時代だったのかもしれない。

彼ら1972年前後の世代は、国内外のカルチャーに影響され、「自分たちでつくる」事を面白がった。CDは爆発的に売れ、2000年まではTOP10以内が100万枚。1999年に発売されたHi-STANDARDのアルバム「MAKING THE ROAD」も100万枚以上というインディーズではあり得ない数字を叩き出した。

2001年にはMONGOL800のアルバム「MESSAGE」が発売され、現在までに280万枚売れている。(メロコアから青春ロック、JPOPへと馴染んだ結果とも言えるが)

これは、フォロワーが生み出した数字といっても良いだろう。そう、私たち1984年前後の世代がフォロワーです。

まだまだエンタメでいえば、ゲーム機もある。NINTENDO SWITCHで待望の「スマブラ」が2018年末に発売されたが、このスマブラは1999年にNINTENDO64で初めて発売された。2000年代には極めた人たちが熱中していた年といえる。

本流をいけば、受け手の世代

カッコいいということが「イケてる」という言葉に置き換えられた時代があるけど(めちゃイケも2000年あたりは全盛期)、イケてる人は上で説明してきた様々なエンタメによって受け手になることだった。

もちろん、そのエンタメを生み出している人たちがイケてるのだが、10代だった僕らは、つくり手になる時代ではない。「どれだけ流行りのものを知っているか」が、イケてる基準だったんだ。

音楽で売れた人たちの友人は、流れで仕事がもらえたのかもしれない。ミリオンセラーの歌手にブランドロゴが描かれたTシャツを着させただけで、限定商品を販売するお店に人が行列をなす。ファッションにお金が集まれば、雑誌でもとりあげられる。お笑い芸人がドラマに出れば、視聴率も上がる。様々なヒットの機会があった事だろう。

人が集まっているからこそ、お金が動くし、ファンやフォロワーはお金を費やす。バンドTやロゴが描かれたTシャツが6000円以上なことはざらで、この頃にzozotownを知って「NO WAR」というTシャツも流れで買った。

東京でカルチャーが飛び交う場に遊びに行けていれば、もっと「つくる側」に回れたのかもしれないな、と今になって思う。

このエンタメの資金を資本として、ウェブサイト制作会社にもしっかりお金が入っていたことだろう。日本のIT企業の上場が始まるのも2000年前後であり、自社サービスより請負の仕事でエンタメ系のウェブサイトを制作したり、という売上が大きかったはずだ。「ウェブサイト1ページ1000万?オーケー、わかんないから頼むよ」的な。

出遅れたら、イケてないはずが

この時代の流行りに乗った人たちは、「イケてる」。これまでに説明した通りだ。

じゃあ、この流行りに乗り遅れた人たちはどうなるのかというと、悔しい思いをした。

イケてないとされていた人たちが、悔しさを持って大学、そして社会へと飛び出す。この人たちが、努力しだした。悔しいからこそ、下克上を起こしたいという感情を持って稼いでいく。

その反面、イケてるとされていた人たちは、受け手としての「情報力」が基準。残ったものはブランドの服、CD。そして、お笑いの「いじる」というスタンス。

イケていた人たちを僕は待つ

この記事で何を言いたいかというと、イケてる人をけなす訳でもなく、イケてない人を責める訳でもない。

失われた時代を経て、現代でどのように「イケていた」人たちが生きていくか。むしろ、「イケていた」人たちの輝きをもっと現代で活かしていきたいんだ。

なぜなら、「イケてなかった」人は、既に幸せに生きている。むしろ、イケていた人たちに下克上を食らわし、マウンティングをはかっているかもしれない。でも、スタイルが無い。

スタイルがある」というのは何かというと、型がある、背景があるということであり、上記のエンタメの流れ「アクション」を受けて「リアクション」するということでもある。

イケてない人は、チェゲバラやボブマーリーのTシャツを「なんとなくカッコ良いから」着てる。そんな「スタイル」や「アイデンティティ」はないんだよっ!と言いたくなりますか?
言いたくなるあなたは、エンタメ全盛期にフォロワーだったという事であり、「イケている」事に憧れた人だ。(僕もそのひとりだ)

おそらく、イケていた人はリスペクトの対象がとてつもなく強く、「勝ちたい」より「あの人のようになりたい」ぐらいで止まりがちなのではないか。また、目立つ事はいじられることであった為、「出る杭」にはなりたくない。自分よりすごい人がいる、それで十分じゃないか、と思ってしまうのだろう。

同世代のイケていた人たちよ、潜り込んでいる場合ではない。イケてなかった人をみて、いじっている場合じゃあない。

あなたたちが潜んでいる事によって、イケてない人たちが前に出てきてしまう。でもスタイルがないから、なんかしっくり来ないんですよ…。

特に、北海道は距離上の問題なのか受け手が多いと感じていて、札幌で何かをやる人たちが「俺らが中心だ」となっており、なんだか突き抜けないなとモヤモヤしている。中心だ、を言っていいのはTHA BLUE HERBだけではないか。

こんなもんじゃないだろう?と思うのは、僕だけなんでしょうか…。

 

今後、そんな2000年ごろにカルチャーに影響を受けた世代の人たちがどうしていくと良いのか、考えていきたいと思います。

(Shun Miyajima)